先代住職、故岡弁有上人在職中は、檀信徒の皆様方には大乗寺維持興隆の為に、ひとかたならぬご厚情ご協力ご支援賜りました事、此処に深く御礼と感謝を申し上げる次第で御座います。

 先代は福井県越の村より体一つで奈良の壷坂の寺に小僧に出、厳しい修行を重ね、京都に縁頂き立命館大学法科を卒業、政治にも身を置いた事もあり、知恩院、清浄華院の役員をしながら、多くの寺院復興に、また自坊である寺町光明寺の中興に、大乗寺開山隆昌に生涯を捧げて参りました。

 その五〇年の間、幸いに私は、何時も先代と共に同じ時間を過ごさせて頂きました。幼い頃はスクーターの後ろに乗って檀家様の所へ、私が運転免許を取ってからは、何処へ行くにも、おかかえ運転手として動かせて頂きました。一九七〇年大阪万博を期に光明寺の新館建設を目指し、毎日大乗寺でのスポーツ・音楽関係の合宿・コンパに走り回り、苦情を聞きながら、資金調達に奔走しました。新館の設計デザインの打ち合わせを毎日の様にさせて頂き、壇信徒の多大な協力のお陰で光明寺新館落慶の日を無事迎えさせて頂きました。

 このころ、先代は開宗八百年事業局長の重責を本山より預かっておりましたので、本山に詰めており、寺院のこと、コンパ・合宿の申し込み、問い合わせ、打ち合わせ、食事の手配、寝具の移動積み替え等、全ての総括マネージを私がさせて頂きました。その甲斐あって昭和六十二年大乗寺新築工事が始められるご縁を賜りました。寺の前に仏様を安置させて頂く家を一軒貸して下さった方、これからのお寺の在り方を図面に現して頂いた設計事務所の方や、それを形にして下さった現場監督の方など、目には見えない素晴らしく大きな良き御縁に支えられ、無事落慶の日を迎える事ができました。其の間も時間を作り、私も清浄華院の寺務を一緒にお手伝いさせ頂き、多くの貴重な体験をさせ頂きました。

 七五才の時には、行きたいと何時も口にしておりました、壷坂の縁をたどり、小僧時代を過ごしたお寺を母と三人で車で廻らせて頂きました。懐かしい、もう来ることは無い、これが最後だと云いながら、一つ一つ思い出をたどり、思いを口にし、目に焼き付けておきたいとの姿、人の生かされゆく縁の広さ奥深さを見させて頂いた気がしました。

 長年乗っておりました車の運転は、自分が乗って行った車の置き忘れが始まった時に、これ以上続けて人様にご迷惑がかかってはと危惧し、車が無くなった事にさせ頂きました。硬膜下血腫があってからは急に体力が落ち、出歩くことも少なくなりました。

 先日私が書きとめていた父の介護記録を見つけましたので、少し紹介させ頂きます。亡くなる丁度一年前の頃のものです。

 平成十二年十月三十日。父、今日は午後三時に寺務所に出て来ただけ、体調崩し殆ど寝ていた。夕食時起きて来たが食欲無し、ビールのみ。

 十月三十一日。父ずっと寝たきりになる。目眩を訴える。少し頭が熱い、寒気は無いと云う。体温三十六度少々、水も何も口にしない。父母とも昼食食さず。医師に往診来て頂く。血圧七〇と一二〇、脈拍も正常、健康そのものと診断。食していないので栄養剤の注射を受ける。

 十一月一日。脱水症状が起こらないようビールを促すが、家内が作った味噌汁だけ少し口にする。煮物に手を出す元気はなし。

 十一月三日。家内に、柔らかめのおにぎりで食欲が出るのではと作らす。おにぎりとビール一杯飲める。夕食、秋刀魚一人前、ジャガイモの煮物、大根おろし、お粥を美味しい美味しいと食して頂く。

 十一月四日。カボチャ柔らかめに煮る。ビールも一缶、普通に近い食欲に戻って頂けた。此処に来て十月二十九日に仏前にお供えの柿を、食べ過ぎて食あたりを起こしていた事が分かる。

 我が侭放題や理不尽な事を云われても、両親に何時も思い存分楽しく孝を尽くさせて頂けたのは、一切の事他人に委ねることなかれ、とお釈迦様がお説きになられた父母恩重経との出会いがあったからです。そしてお経の通り、実行させて頂けたのは、家内の、親第一の考えがあったからこそです。二〇数年間、子供達若い者とは別に、両親に最も合った食事と時間を作り続けてくれた家内の心と今更ながら感謝するところです。老いれば老いるほど、体が動かなくなればなるほど、何よりの楽しみは食事だと教えて頂きました。何時も炊きたてのご飯、温かいお味噌汁、好物の煮魚、お芋やカボチャの煮物、新鮮な伊勢の海苔、和歌山の梅、それらを美味しい美味しいと食べて頂きました。

 親第一、先祖第一、の釈迦の教え実行させ頂き初めて、悟らせ頂くことばかりで御座いました。仕事第二、趣味遊び今世は必要なしと悟らせ頂いた事です。その様な習慣があったればこそ、他界し後の四十九日の間も、朝夕の霊膳を一日も欠かすことなく自然にさせ頂きました。私達夫婦は、父が、最後まで身をもって佛の教えを諭して頂いた偉大な師匠であったと、感謝しています。

 毎日、今在ることの有り難さを先祖御守護尊神様に感謝し、親を慕い、尊敬し感謝して孝を尽くす事で、人として最も尊い豊かな心とさせて頂き、諸々の欲から離れさせて頂き、楽しい明るい日々を賜る事が許されるのだと悟らせ頂いた次第です。

 欲に惚けた心は、欲に取り囲まれて落ち行く方法しか見えていないことを、昨今の報道が教えているように、欲の人は其れが正しいと見えるのです。清らかな、欲から離れた心に成らせて頂いて初めて、正しい物の見方を与えて頂けるものです。

 春の彼岸、人として何が最も大切か。欲に惚けた心で考えるのではなく、清らかな佛の教えをしっかり身に頂いた心で、静かに考えてみる時が人類には来ているのではないでしょうか。三千年前より人類の愚かさと尊さを説き明かすお経を、今誰もが手にする時期ではないでしょうか。

合掌