「心安穏に」

 戦争や疫病、思想の制約や人種差別、貧困による餓死も無いこの恵まれた国にあって、昨今、鬱病が増大しています。今ここに来て、人々の心が不安定である事が、表面化している現象と受け止める事が出来るのではないでしょうか。では、なぜこれほどまでに不安定な心の持ち主が増え続けて来たのでしょう。

 人間は、信じるものがあって初めて心は安定します。自分、家族、友達、先生、上司、部下、仕事、お金、会社、色々なものを信じて人は人生を乗り越えて行くのでしょう。しかし社会が不景気になり、会社、上司、仕事、が信じられなくなると、鬱病患者も多くなるようです。

 これは本来、家族家庭の果たすべき役目が機能していないからではないでしょうか。具体的には、前回の「春の彼岸によせて」に、申させて頂きましたが、家庭でしか伝えられない順を親が伝えていないからではないでしょうか。先祖や神佛の尊さを伝え、人は神佛、先祖にお仕えするものだと伝える事が出来ているでしょうか?社会人と言う前に、人として最低身に付けなければならない心と、その心を保ちつつ成長させて頂く習慣を身に付けているでしょうか。

 家族、家庭のあり方が大きく変わったため、信じる事柄や深さが変わり、弱々しい、変化の多い表面的な事しか、信じられなくなった結果ではないでしょうか。そして、今皆が信じているものは、知識ではないでしょうか。テレビの解説やクイズ番組、豆知識、インターネットでの情報。知りたいことは、なんでも知ることが出来、皆さんの知識袋は入りきらないほど満杯になっている事だと思います。故にご自身の一生を決める大切な時期、事柄であっても、情報が多すぎて処理も出来ず、頑固な思い込みも手伝って動きもとれず、情報で満足してしまっているため、渇望することもないのです。

 また、人は、欲と無知と誤解により、神や佛の存在すら、信じられないものにしてしまったのです。それは、信仰の領域まで欲を持ち込んだ人間の愚かさからでしょう。人は神を何でも希望を叶えてくれる欲の執行役と位置付け人間の召使いとして認識してしまっているのです。何をどの様に信じれば良いかということすら、見失ってしまったのです。

 そこで、人々は制約も義務も発生しない人間関係、一時の気まぐれや、お金だけの出会いを求め、さまよい、寂しさをまぎらわしているのです。その社会現象がメルトモや出会い系サイトとして現れてきているのでしょう。人々の心の故郷であるべき家庭は、今や生活の一中継点としてしか機能していないのではないでしょうか。

 初めに申しました自分、家族、友達、先生、上司、部下、仕事、お金、会社、その他この世に存在するあらゆるものは、時代や社会、状況、健康、によって瞬間に無くなるものです。もしもこれらだけを信じている方がおられるとすれば、この方々は鬱病予備群であることは、間違いないでしょう。

 順をわきまえた家族の在り方の中に、人々は経文に出会い、先祖や神佛の存在を知ることとなるでしょう。人としての正しさは家庭で教えられ、正しさの中にしか、真の安らぎは有り得ません。仕事やお金と言う前に、この世に命を下さった御先祖がおられることを外して何が大切といえましょう。

 もし人が 神や佛を信じることが出来るようになれたなら、これ程素晴らしい事はないと思います。何故なら神や佛は永遠不滅の存在だからです。

 経文を読ませて頂きますと、徳の大切さに気付かせて頂きます。欲が取れた分だけ、より多くの事柄を管理させて頂けます。また徳は、自分で積めるものでもないこと、先祖の方々が積んで頂いたものが無ければ、この短い人生で、無知で愚かな私達が積める筈もなければ積める機会すら頂けなかった事、また何世代もかかって少しずつ積み重ねて来られたであろう事も、ここに来て痛感させて頂けます。

 ですからこそ、その先祖の遺徳に感謝させて頂き、己も徳を積む方法を身に付けさせていただく為に読経が、本当に大事であることをわからせて頂きます。

 秋の彼岸、

 ご先祖の成佛を一心に願い、楽しく素直に経文を読み続ける事が出来る人は、知らず識らずの間に真の心の安穏へと導かれるでしょう。秋の空気は清々しく澄み、月も星もはっきり輝いて見えます。人の心もこうありたいものだと願わずにはおれません。

合掌