「二つの感謝」

 感謝には二つの感謝があります。物を頂いたり認めてもらったり他から自己に向けられた事に対するものと、自己の内よりこみ上げてくるものです。

 他から自己に向けられた事への感謝は、一時的であり、相手や周りの状況、心の状態によって大きく変化します。一喜一憂は人間味があって良いかも知れません。しかしそれは自己の想定内で起こる変化を無意識の間に定めての言葉です。その証拠に、一喜一憂が大切と言う人も想定外の事が起きると慌てふためいて冷静さを失い、その考えはどこかへ吹き飛んでいるものです。

 又他から非難されたり、無視されたり物を搾取されたり、不利益な事が起こると、憎み、妬み、怒り、その上、疑念疑惑が次々と湧き出てくるものです。今の今まで感謝をしていた心が一瞬に憎しみと変化しているものです。

 そこから人の心は他を陥れる為の作を練ったり、周りに有ること無いことを中傷して歩いたり、鬼になり邪になり留まるところを知らないように悪心が大活躍しその心に自分自身苦しみ始めます。その頃には感謝していた時の心すら忘れ果てています。

 人の心はこれ程感謝とは程遠い、別物に変化していくものです。

 それに対し、自己の内よりこみ上げてくる感謝は自己の外に影響されず、常に感謝の心で安定しています。

 内なる感謝には佛智が必要です。生活の中で起きる様々な出来事に対し、どの様な悪心が出てしまうかを自己分析し、悪心の原因をお経の中より探すと、自己の心の未熟な部分が浮き彫りとなります。未熟な心を教えて頂いたら次ぎに、その部分を養うお経を頂きます。心の成長を頂いた分だけ悪心が治まってきます。

 見下されたり無視されたとき、又意地悪をされたときなど、多くは相手の人間性を非難するものです。しかし相手に原因を求めず自分に総ての原因が有るとお経に説かれているように、その原因を自分に求めお経を頂くと、より高い目標と其れに向う為の常精進の尊さに出会わせて頂きます。

 この様に、家庭や職場での出来事が、自己を高める場と受け入れるならば、日々多くの自己の至らない心に気付けるものです。至らない自己に気付けば気付く程、周りの総ての方々や日々起こる出来事に内からの感謝がわき始めます。

 お経を読み説かれている通りに行動するだけで、大きな大きな仏に出会い、深く壮大な仏心と佛智に出会わせて頂き、自己の心を磨かせて頂けます。お経とはそれほど心に平安を運んでくださるお方です。

 春の彼岸、御先祖には心を込めて、「御先祖様、なにとぞ御成仏を」と念じ、自己には「心の未熟な所、気付かせ頂きたし」と念じお経を頂く習慣が根付けば知らず知らずのうちに己の内よりの感謝が増え、家庭は円満に向かい子孫繁栄が約束されるでしょう。内なる感謝の無い家庭に心の安穏はあり得ません。

合掌