今回は仕える事の大切さについて考えてみましょう

 皆様は毎日、事に 仕えています。そう、仕事の本来の意味です。

 辞書には、神に奉仕する。宮中に仕える。父母に仕える。師に仕える

 白川静文学博士の辞書には、「士は小さな鉞(まさかり)を、刀を下にして置いた形で、戦士階級の身分を示す儀礼用の器である。士は戦士階級として王につかえる者をいう。」とあります。

 人類が地球上に現れて来た時のこと、古代文明を紐解いていく中に、本来人として生きる基本が隠されていると思います。そして、今も日常的に使っているこの言葉に、その大切なメッセージが込められていると思われます。

 人類以外の生命は、どこにあっても自然の摂理「万象を支配している理法」に従って生きています。

 古代文明の象形文字からも、人類が神々と祖霊と共に生活していたことがわかります。それも、今のような、何でも人間中心の考えの中での神や祖霊ではなかったようです。それらを中心に、生活が成されていたようです。

 我が国に於いても、つい最近まで村のお祭り行事を中心に、村人達の年間の生活が決められていた事からも、中心は祖霊で有り、神で有った事は間違い無いでしょう。

 それらを忘れ怠ることは、自然の摂理から、神や祖霊の縁から益々遠のいて行くことになるのではないでしょうか。

 仕えるという文字も、人間同士の関係よりも人間と神、また人間にとって最も神に近い王に対し用いられたものなのでしょう。

 仕えるという動作には、そこに相手を真に尊ぶ心が無ければ成り立たないと思います。

 父母を、神や王の様に尊ぶ家庭に不和が存在するでしょうか。

 我々の日常生活の中で誰もがよく使っている言葉に「仕方がない」という言葉が有ります。

 そこには諦めと、諦め以外に無い現実、他にどの様な方法も無かったという事なのでしょう。

 私達は、皆が全く違った一日一日を頂いております。

 その違いは、縁によって変わっていく。その姿を見たとき、縁に総ての原因が込められている様に思います。どの様な縁の元に生まれさせて頂いたか、どの様な父母の間に生まれさせて頂いたか、どの国に生まれさせて頂いたか。

 縁は、無限の方向性と無限の力と無限の何かを持っています。

 私達が自然の摂理から学ぶ事は、その生き物が持っているそのモノを活かす事で、自然は充分に応えてくれるということでしょう。

 私達人間であれば誰でも出来ること、貧であっても、老いていても、無学であっても出来ること。休むこと無く感謝を持って尊んでさせて頂ければきっと縁は良き方向に舵をきってくれるのでしょう。その舵は神がおきりになるのではなく、自然の摂理を守り実行する事で縁がきってくれるのではないでしょうか。

 因縁因果の法則をお借りすると、自分の今の言動総てが縁の因子となるという意味でしょう

 父母に敬いの心で向き合う、祖霊に敬いの思いで感謝する。秋の夜長、人であれば誰でも出来る事をしてみましょう。

 祖霊に仕え仕えているご家庭には、仕方がない事は起きません。
それは、祖霊が縁を持って私達現世の者にお返しして下さるからです。

 父母へのお仕え、祖霊へのお仕えが毎日出来ている方に仕方がない事は起きません。

 事が起きたときには必ずその出来事に向き合い仕える方法、仕方が分かるように祖霊よりお教え頂けます。

合掌