人は、「慈悲」、と何気なく使用している言葉においても、自分の身勝手な思いで、「慈悲」という言葉を使ってしまっているものです。「慈悲」と言葉で発しながら、慈(いつくしみ)しか望んでいないのではないでしょうか。後の悲(かなしみ)、苦しみを与えてほしいと望んでいる方は、おられるでしょうか。

 何故、佛様は、人には悲しみが必要だと申されるのでしょう。それは、感謝の心を育てるには、悲しみ・苦しみを潜り抜けた人しか、その心は持たせて頂けないからでしょう。贅を尽くした生活をさせて頂いている方ほど、怒りっぽく不平不満が多い。貧の者からすれば、羨ましい生活をされているのに、何の感謝も無い。総てが当たり前にうつるようです。

 感謝も色々ございますが、第一の感謝は両親に対してでありましょう。まず御自身の、今在る事は、御両親がおられたからであり、いくら理屈をこねる方でも、まず自分の肉体がここになければ、何一つ感じる事も出来ない事は、お解り頂けるでしょう。その親に、心から感謝させて頂き、お仕えさせて頂く事が感謝の第一と思われます。

 そして第二は、その両親には又、その親、すなわち先祖がおられたわけで、その中の一人の方が欠けても、今の自分が無いと気付けば、何万年と続いた先祖お一人、お一人に感謝が出来るのではないでしょうか。この一と二の感謝以外の、皆様が日々感じておられる感謝は、利供養の感謝ではないでしょうか。

 秋の彼岸、心清く心静かに、親の大切さ、先祖の努力の尊さ、今在るのは先祖の陰と、本来の自分の存在に深く気付き、感謝させて頂くのも、彼の岸、悟りの岸に一時でも心を運ばせて頂ける事となるのではないでしょうか。

 ※人生を正しく歩む方法を、佛の教えを軸に、身と心にお付けになりたい方は、お気軽に、寺務所にお申し付け下さい。

合掌