皆様は、御先祖供養をどのように受け止めておられるのでしょう。

 人間であれば、弱者に手を差し出す事は当たり前です。人は心のどこかで、その様な事が出来ればいいなと、思っているものです、これを良心と云うのでしょうか。しかしこの良心も気ままなもので、人に云われたり、強要されたり、タイミングを失うと、全く反対の行為として表現してしまうものです。これは、一人一人の心のあり方が違うからなのでしょう。心のあり方は人間の数だけある、と言っても過言で無いでしょうし、その事は皆様も日常生活で体験されておられる事でしょう。

 精神医学や心理学で、又、今や脳神経内科で、科学的に医学的に心のメカニズムを解明しようと努力されており、私達もその恩恵を受けております。そして、医学的な解明が進めば進むほど、お釈迦様の申された事が間違い無かった事と、明らかになってきています。

 では、お釈迦様はどの様に申されておられるのでしょう。

 「総ての心の悩みや苦しみは、自分自身の妄想から来る」と。これだけでは、お解りになりにくいでしょうが、この妄想は身近な所にいっぱいあります。

 先ず、自分が死ぬことは決まりきったことです。しかし、いつまでも生きられると思い込んでしまっていますので、何かあれば慌ててしまいます。又、若い時は自分の地位名誉はどんどん昇り、いつまでもあるように思ってしまいます。地位名誉を奪われるまでも、少し脅かされる要因があるだけでも不安を覚える。必ず無くなるものですが。そして又、夫婦、親子、友人、嫁姑、これほど身近な人間関係だから上手くやっていけて当たり前と思っています。いや思っていないよ、と云われるのであれば、その方は愚痴、不満は、一切無いことになります。しかし実際は、云うことを聞かないと腹を立てている。なぜなら親子であろうが、夫婦であろうが、ご自身の力ではどうにも成らない所に、鍵があることすらわかっていない。このことを含め、「妄想」とおっしゃっているのです。これらは、何億と言うお釈迦様の教えの一つに過ぎないのですが。

 それにしても、何故人間はその様な心を持たせて頂いて、この世に生まれて来るのでしょうか。最初の、「人間であれば弱者に手を・・・」の弱者とは、いろいろな方がおられますが、最も身近で関係が深く、貴方以外に誰も手を差し出す事が出来ない弱者がおられます。その方は肉体を失い、自分ではどうしようもない、ただ子孫の真心だけが頼みの綱となられた貴方の祖、先の祖であり親なのです。先ずその方に手を差し出さずに、次の弱者に手を差し出せば、それは周りの目を意識した善意、偽善に他ならないでしょう。そして、すぐに自分も肉体を失う、ほんの少しの間しか出来ない善意ですし、しておかなければならない事でしょう。

 その善意の方法も、それぞれ自分の思いのままにする事が正しい、と思い込んでおられる方が多い様です。しかしこれも又、人間の勝手な妄想なのです。何故なら、勝手にして良いのであれば、又それで通じるのであれば、戒律も教えも経文も、存在していないはずですし、それを説き、後世に命掛けで伝える僧は、現れなかったことでしょう。

 御先祖供養に於いても、多くの思い込みや妄想があるから進まず、悩み、問題も出てくるのです。最も弱いご自身の先祖に手を差し出す姿が、御先祖供養です、魂は生きておられるのですから、毎日、毎日のお世話が大切です。ご自身がご自身の手でしか出来ない、これがご先祖供養です。そしてその正しい方法をお伝えし、供養の仕方の分からない方に変わってさせて頂く特別な者がおり、その者が供養の手伝いをする者であります。

 春の彼岸、

 慣習として、親から引き継がれていることが一般的でしょうが、一から考えを新たにして頂き、これを期に、最も弱者である自分の御先祖に勇気を持って手を差し出し、お釈迦様の教えに沿った正しいご先祖供養を始め様ではありませんか。

合掌